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日本書紀によりますと5世紀中頃、皇位をめぐって大和朝廷は一大混乱に陥っていました、そんな時尾張の国で生まれた男大迹皇子は、当時の事情から生後まもなく根尾村に隠れ住むのを余儀なくされてしまいます。 そして29歳の時に任賢天皇即位に際し男大迹皇子は都に迎えられる事になりました。 その折りにこの地を去るにあたり、名を惜しむ人々に形見として植えていったのがこの桜(淡墨桜)と云われております。 天皇がこの地にいるときは紅色であったが、都に上った後は次第に薄くなったと云われています。 |
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1982年6月、国の天然記念物であり、日本三大桜の一つと呼ばれている岐阜県根尾村の「淡墨桜」の苗木を譲り受けたのが八木沢・大久保地区にある「淡墨桜二世」です。 この桜は初め白色の花びらが次第に薄墨色に変わる事から「薄墨の桜」の名前がついたと云われております。 毎年この桜が見頃な時期になっても訪れる人は決して多くありませんが、それでも毎年開花を楽しみにしている人がいます。 それが地元のよく知る人であったり、噂を聞きつけ他県から訪れたお客さんであったり・・・少ないながらも淡墨桜ファンはいるんです。 |
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| この歌は継体天皇が幼少の頃から世話になった岐阜県根尾村を去る時に詠んだ歌と云われており、村と共に薄墨が栄えるようにとの願いがこめられています。 |

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満開時には小さくて白い花を咲かせ、散り際になると薄い墨色に変化していく事から名称が付けられたと云うこの土肥の淡墨桜二世が咲く時期は、平均して3月上旬頃、染井吉野より少し早い時期に見頃となります。 咲き始めから約10日前後で満開となりその後、3月下旬頃には徐々に散っていきます。 ちなみに周囲には福井県三春町より譲り受けた日本三大桜の一つ「滝桜」の二世木やコメ桜も各所に咲いて土肥では桜の隠れポイントとして知られています。 |
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